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東京高等裁判所 昭和45年(う)1118号 判決

本店所在地

東京都足立区千住二丁目六二番地

張替食鳥株式会社

右代表者代表取締役

張替新三郎

本籍並びに住居

前同所

会社役員

張替新三郎

明治四三年一月二八日生

右被告会社及び被告人張替新三郎に対する各法人税法違反被告事件について、昭和四五年三月二七日東京地方裁判所が言い渡した有罪判決に対し、被告会社並びに被告人からそれぞれ適法な控訴の申立があったので、当裁判所は、検事古谷菊次出席のうえ、審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、被告会社及び被告人の共同弁護人浅見敏夫提出の控訴趣意書に記載するとおりであり、これに対する答弁は、検事古谷菊次作成名義の答弁書に記載するとおりであるから、ここに、いずれもこれを引用する。

控訴趣意意第一点誤認の主張について

所論は、原判決が、「被告会社財産と認められた預金は、その全額が同会社に帰属するものと認めるのが相当である」としたことについて、被告人は昭和二五年四月二五日被告会社設立当時、約一億二千万円の個人預金を有し、これを会社に持込まず被告人の個人預金として別途に所有しつづけてきたものであり、昭和四二年七月一八日本件査察着手当時三井銀行千住支店等において差押えられた無記名定期預金等約二億円余りの預金中に右被告人の個人預金が入っているから、被告会社の所得計算を行なうに当っては当然これを控除すべきであったのに、これをしなかった原判決は判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある。なお、原判決は、この点について、当該預金が被告人に帰属し、被告会社に持込まれたものでないことについて、被告人側において何らかの具体的立証もないことを理由に、原審における被告人及び弁護人のこの点を排斥しているが、右は刑事裁判における挙証責任の原則に反するもので、本件預金の全額が被告会社に帰属することは、検事において立証すべきことである。原判決はこの点において証拠法則を誤っている、というのである。

先ず、所論の採証法則違反の論旨について検討してみるのに、原判決は、所論の預金額が被告会社に帰属するものであることを認定するについて、右預金が被告人に帰属し、被告会社に持込まれたものでないことの具体的主張、立証が被告会社、被告人からなされていないことを唯一の理由としているのではなく、原判決を一読すれば明らかであるように、そこに示している種々の情況証拠によりこれを積極に認定しているのであり、所論の点は、検事も答弁書で主張しているように、右事実について被告人側から具体的主張も立証されていないということを一つの事実として心証形成の素材としたに過ぎないのである。この点をとらえて、原判決が立証責任を転換したかの如く主張する論旨は、原判決を正解しないもので、採るを得ない。

そこで、本件預金がすべて被告会社の所有すると認定した原判決の事実認定の当否について検討してみるのに、記録及び原裁判所が取り調べた証拠に、当審における事実調の結果をも併せ考えれば、原判決がその挙示引用の証拠により本件預金の全額が被告会社の所有に帰属すると認定した措置、特に、原判決がその認定の理由として詳細に説示するところは、優に首肯できるものといわなければならない。

すなわち、(一)控訴趣意書において述べられているように、終戦直後における被告人の業態が利潤の多かったことはこれを認めるに吝かではないが、昭和二五年四月二五日被告会社設立当時、被告人が当時の貨幣として一億二千万円もの巨額の蓄積を有していたものとはとうてい認められない。ことに、検事も指摘するように、被告人の上申書(昭和四三年四月四日付)、被告人に対する大蔵事務官の質問顛末書(同四三年四月八日付)によれば、被告人の昭和二五年四月当時三井銀行千住支店における預金総額は、三、三五〇万円で、内普通預金一、三五〇万円、定期預金二、〇〇〇万円ということになっているが、右金額は三井銀行千住支店長手塚光郎の検事に対する回答書により認められる同銀行千住支店の昭和二五年三月三一日現在の定期預金が帝銀定期預金を含めて三、二六七万円余り、同年九月三〇日現在のそれが同じく五、三三八万円余りであったことを考えれば、被告人の主張する定期預金の金額は、右三井銀行千住支店に対するものを例にとれば、被告人個人の定期預金が同銀行定期預金総額の約六五%を占めることになり、計数上とうてい措信し難いものである。(二)昭和二五年四月当時、仮りに被告人の主張するように個人預金が約一億二、〇〇〇万円もあったとすれば、その後約一五年を経過した時点において、その間著しい個人資産の喪失の認められない本件では、預金利息の発生により当然当額の増加があったはずであるのに(なお、定期預金利息を現金で支払いを受け費消したとの事実も認められない。)、被告人の上申書(昭和四三年一月三一日付)によれば、昭和三七年二月二八日現在の定期預金及び定期積金並びに普通預金等の合計は一億三、三二〇万三、八四五円であり、その間不動産や有価証券等の取得に高額顕著なものが認められないことを考えれば、その増加は、原判決も指摘するように誠に軽微であって、やはり被告人の個人預金が昭和二五年四月当時約一億二千万円あったとする被告人の供述は信用できない。(三)被告人の前記上申書及び大蔵事務官本林照利作成の昭和四三年五月二五日付銀行調査書、同和田義鋪作成の同日付個人収支調査書等によれば、昭和二五年四月被告会社発足後被告個人の所得による預金の発生原因は殆んど認められないのに、被告会社発足以来新規預金は発生し続けているのであり、しかも、一方、張替照子及び松村厚に対する大蔵事務官の質問てん末書等によれば、被告会社では交際費、販売先に対するリベート等を捻出するということで架空仕入、売上除外等の方法により利益の控除、隠匿が行われていたこと(なお、趣旨は、原判決は、架空仕入、売上除外等の操作が昭和三九年以前からあったかの如き認定をしたと非難しているが、それは、原判決に対する誤解であって、原判決は右の操作が行われたのは昭和三九年頃からであるとしている。)を考え合わせると、本件預金は、原判決もいうように被告会社に帰するものと認められる。(四)預金中被告人個人名義を含むその家族名義のもの等実在名義人のもの及び実在人であると推測される名義人等の投資信託や株式並びに無記名預金であっても、被告人個人に属すると認められるものは、被告会社の財産から控除していることは記録上明らかであり、現に、預金についても、昭和四一年二月二八日現在一六万四、九八七円、同四二年一月三一日現在六二五万八、三一七円を被告人個人資産として被告会社資産から控除している(大蔵事務官和田義鋪作成昭和四三年五月二五日付個人収支調査記録)のであって、被告会社に帰属する預金としては、無記名及び架空名義預金が被告人に帰属することについては、被告人から首肯すべき説明もなされていないのである。従て、原判決もいうように、以上の諸事実に、財産計算法の特殊性を考えると、本件において、原判決が本件預金をすべて被告会社に帰属するものと認定したことは首肯できるものというべく、記録を検討し、当審における事実調の結果に徴するも、原判決のこの点の事実認定に誤認を疑うべきかは認められない。論旨は理由がない。

同第二点量刑不当の主張について

所論は、被告会社の資産中に被告人個人預金を混入していることは否定できず、本件ほ脱所得としてはかなりの預金利息が計上されているのであるから、この点を考慮してぜひ罰金額を減額すべきである、というのであるが、既に説明したように被告会社資産中に被告人個人の預金が混入しているものとは認められないのであるから、所論は、既に、その前提において失当であるばかりでなく、記録並びに原裁判所が取り調べた証拠に、当審における事実調の結果を併せ考え、これらにより認められる被告人の本件犯行の動機、法人税ほ脱の態様、ほ脱額等、特に、被告会社としては原判決認とおり相当高額の所得があり、経営も極めて順調であったのに、計画的に架空仕入、売上除外等の方法により所得を隠べいし、長期に亘って法人税のほ脱を図ったこと、被告人は業界における指導的地位にあり、他の業者に対しても重大な社会的責任を果さなければならない立場にありながら、敢て、本件に及んだこと等の諸事情を考えれば、末だ、原判決の被告会社及び被告人に対する各科刑が所論の如く重きに過ぎ不当なものであるとは認められない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条に則り本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 荒川正三郎 判事 谷口正考 判事 浜秀和)

控訴趣意書

被告人 張替食鳥 株式会社

(右代表取締役 張替新三郎)

同 張替新三郎

右被告人両名に対する法人税法違反被告事件の控訴の趣意は次の通りである。

昭和四五年八月一日

右弁護人 浅見敏夫

東京高等裁判所第六刑事部 御中

第一点 原判決には、判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある。即ち、原判決は、本件査察着手の際差押えられた三井銀行千住支店等における無記名定期預金等二億円余り(以下本件預金と略称する)は全額被告会社に帰属するものと認めるのが相当であるとされ、その理由として

〈1〉 被告人(張替新三郎)が終戦直後から被告会社(張替食鳥株式会社)設立まで個人で経営した食鳥等(鶏肉鶏卵)の卸販売業が利潤の多かったことは認められるけれども被告人主張の如き多額の蓄積を生じたものとは認め難いのみならず、本件預金が被告人に帰属し会社に持込まれたものでないことの具体的立証がないこと。

(二) 被告人が、被告会社を設立した当時、個人で約一億二千万円の預金を所有したとの主張はその後の預金増加の状況に照し合理性を欠くこと。

(三) 被告会社における架空仕入、売上除外の操作は、預金の発生状況、会社設立後被告人個人の営業行為のないこと等よりして昭和三九年以前よりなされたものと認められること。

(四) 検察官は、被告人個人資産として相当額の預金、投資信託、株式等を認めていること。

(五) 財産増減法の特殊性

を掲げているが、これは事実を誤認したものである。

先ず右(一)(二)に関連しては、被告人の供述、証人張替たつ、同下村米太郎の証言等を総合するとき、終戦後における食糧窮迫の時代統制外物資であった鶏肉鶏卵に一般の需要が集中し、商品さえあれば幾らでも売れる情況であったこと、鶏肉鶏卵の販売価格は終戦直後と最近とを比較しても殆んど変りがなく、この商品に関する限り、戦後の貨幣価値の激しい変動に影響されていないので過去に遡るほど営業としては有利であったこと、被告人は終戦直後から営業を再開し、出身地である茨城県下の農家より商品を豊富に仕入れることができたこと、終戦後数年間の業況は一日の売上が六、七十万円あり、その三〇%が純益であったこと、被告人は食鳥の取引には十三才の頃から関係し商才豊かで商売熱心であることは同業者間でも定評があり、会社設立時に相当多額の預金を有していたであろうことを推測するに十分である。

因みに、最近に至り、昭和十八年四月当時東海銀行に普通預金だけでも一九、二〇四円あった事実が判明した。

問題は被告会社設立当時、被告人が幾許の預金を有していたかであるが、如何せん二十年の歳月は銀行における帳簿・伝票等も保存期間の経過のため散逸し係員の記憶に頼らざるを得ないところ、銀行側としても時に脱税幇助の容疑を受けるといった苦しい立場があり調査の権限もない被告人が調査することは極めて困難であったことである。そこで被告人としては先づ自己の記憶に頼って供述したものが昭和四二年七月二四日附質問てん末書第二問答であり、会社設立当時個人預金一億二千万円(尤と同問答の末尾に預金の額はもっと少かったようにも思う旨の供述あり)あったというものであり、その後査察官の調査に併行して被告人の手で調査した結果が昭和四三年一月三一日附預金についてと題する上申書(昭和三七年二月二八日現在の預金総額一三三、二〇三、八四五円ありとするもの)である。

無記名定期預金が脱税に利用される場合必ず預金の継続性を絶つ操作をしているものである。

そのために、結果から遡って預金の継続を求めることは殆んど不可能に近い。被告人の場合も例外ではなく査察当時の預金を被告会社設立まで遡及的に結びつけようとしたのが右上申書の努力であったが慚く昭和三七年二月当時までであり、それも全預金を把握したとは思えないのである。そして一部の預金について更に遡ろうとしたのが昭和四三年二月十二日附預金についてと題する上申書である。

このように、被告人が昭和二五年四月、被告会社設立当時の預金額を執拗なまでに調査しようとした意図は、個人時代に相当額の預金のあったことを確信するが故であり且つその預金は被告会社の運営に持込むことなく個人の資産とし継続してきたものであるということにあったのである。

こうした被告人の努力は原判決によって会社設立時にあった一応供述した預金一億二千万円を否定する役割を果させることになり、更にそうした預金があったとしても、会社に持込まれたものでないとの具体的立証がないから会社の預金と認めるのが相当であるとされたものである。

一体個人会社において会社設立時個人資産を持込んだか否かはよくおきる問題であるが、その立証責任はいずれにあるのであろうか。

最高裁判所、昭和三六年(オ)第二一四号判決は「所得の存在及びその金額について決定庁が立証責任を負うことはいうまでもない」と判示されているのであるが、この判決をまつまでもなく、資産を持込んだか否かは所得の源泉を確定する問題であり、被告人側において持込みの事実を認めるとか会社資金と丼勘定にしているとか特段の事情のない限り検察官において資産持込みの有無を立証する責任があると解するのが相当ではあるまいか。本件において、被告人は査察当初より終始個人資産の持込をみを否定しているのである。然らば資産の持込みありと認めるためには検察官において立証すべきであり被告人が具体的立証をしないとの理由で本件預金の持込みありと認定された原判決は事実を誤認したものといわざるを得ないであろう。

次に原判決は、被告会社における架空仕入、売上除外の操作は、昭和三九年以前からあったかの如き説示をされているが、これは明らかに誤認である。被告会社の社員、張替照子、同松村厚に対する質問てん末書の記載、被告人の供述、証人張替たつの証言にあるように業況の変化により従来の卸売り形態を百貨店、レストラン等に対する販売に切替えたことよりリベート接待費等公表し得ない資金の必要を生じたため、昭和三九年頃よりやむなくとった処置である。原判決は昭和三九年以前にも無記名定期預金の新規発生があるからとして右の如き表現をとったものと思われるが無記名預金における中断の操作の故に新規発生の如くみえるだけであって、その故に架空仕入や売上計上洩れを推定することは合理性を欠くといわなければならない。

また被告人個人の資産として相当額の預金や株式を認めているともいわれるが、その額は

(イ) 張替新三郎名儀普通預金(東海銀行千住支店)一、〇五九、四一六円

(ロ) 張替たつ名儀普通預金(三井銀行千住支店)一、二四七、五二一円

(ハ) 大東京信用組合日暮里支店無記名定期預金 一六四万円

(ニ) 株式約三、〇〇〇万円相当

に過ぎないのである。

以上数々上申した通り被告人が昭和二五年四月当時相当額の預金を所有していたことは事実であり、その預金を被告会社に持込んだとは認められないのであるから、本件対象年度における所得の計算上個人預金を除外すべきであり、その預金より発生した利予所得は個人の所得であるから被告会社の所得から控除すべきことは当然である。

然らば、被告人個人の預金の額は如何というに、被告人は査察の最終段階に至り調査の経過等に鑑み(もともと前掲の通り預金額については査察当初に弾力性ある供述をしていたのであるが)……査察官き対し昭和四三年四月四日附で上申書を提出し被告会社設立当時における個人預金額は九、八六〇万円であったとしておりこれは被告会社に持込んだものでないから個人の預金として区分して貰いたいとしているので少くとも右金額を被告人個人の預金として除外し、被告会社の所得計算をするのが相当ではあるまいかと思料するものである。

第二点 刑の量定について

前掲の理由により原判決は破棄せられ、更に相当の御裁判あるものと思料するのであるが、仮に被告人個人の預金が被告会社の預金と混然一体であって区分し難いものとの御認定があるとしても少くとも原判決が、本件預金の全額が被告会社の所有であるとした認定は是正されたいことである。前掲四三年四月四日附上申書にもある通り、被告会社設立当時、被告人個人として預金等九、八六〇万円があり、これを銀行預金等として運用してきたのであるから、今回の調査の終了を機会に個人資産と会社資産の区分確定をして貰いたい旨訴えており、検察官においてもその間の事情を諒とされたので昭和四四年十月十一日被告会社は足立税務署長に対し「特別仮受金勘定分についてのお願い」という上申書を提出して被告会社の所得計算上被告人個人資産を区分除外する必要性を訴え、ついで昭和四三年一月期の修正申告書を作成提出し個人資産を区分除外する処理をしているのである。それにつけても本件預金は被告人個人の預金が相当額混入していることの実体に即した御認定を賜りたいことである。而して本件のほ脱所得は

(一) 昭和四一年二月期二九、八一六、〇六二内の内預金利子が一三、九二七、六八三円

(二) 昭和四二年一月期三六、一五二、六八九円の内預金利子が五、〇八七、六九二円

を占めているので、この利子所得の相当額は被告会社の課税所得からは控除せらるべきであり、従ってほ脱税額も減額せられるべきであるから被告人両名に対する科刑も当然軽減せらるべきであると思料するものである。

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